その仕事が好きでやりがいがあるという働き手の心理につけこみ、低賃金労働や長時間労働が常態化し、「やりがい搾取」という言葉で批判される職場がある。
アニメ制作現場なんかがその典型。
本来支払われるべき対価が払われず、企業に搾取されているという意味である。
ビジネス界の問題をとらえた言葉として十分に理解でき、共感もできる。
しかし、そのような事象を制度の欠陥や経営者の悪意として十把ひとからげに批判するのは、問題解決に役立たないという「批判に対する批判」もある。
今回ロリケンで取り上げた『消費と労働の文化社会学 ~やりがい搾取以降の「批判」を考える』(2023年、ナカニシヤ出版)は、若い研究者たちによる、その「批判の批判」の論文集。
今日的な重要課題に果敢に切り込んだ著作として敬意を払いたい。
「やりがい搾取」の批判は、無責任に若年者の「夢」を助長する(食い物にする)ビジネスにも矛先を向ける。
同書で、人気(Attractive)、稀少(Scarce)、学歴不問(UnCredentialized)の頭文字を取ったASUC職業という言葉が紹介されている。
デザイナー、ミュージシャン、プロスポーツ選手などがこれに当たり、これらのあこがれの職業を目指す若者を対象とした教育ビジネスが盛んになっている。
それらの「夢追い方キャリア教育」が、成功する当てのない若者とその家族を食い物にしているという批判である。
一方で、周到な準備の下、本気で「漫画家」や「タレント」を志す若者はいるわけで、「機会提供」と「搾取」の線引きは難しい。
若者ならではの無謀なチャレンジが未来を切り開くというのも、一面では真実。
ベンチャービジネスを立ち上げる若者は経済の原動力だし、甲子園からプロ野球選手に到達する若者は毎年いる。
「誰か」は成功するわけだし、その誰かが自分でないとあらかじめ結論付けることはできない。
こういった「やりがい搾取」の問題に対して、同書が端的に答えを出しているわけではない。
そこで、自分なりにできるアドバイスは何かを考えてみた。
自己責任で頑張ってと突き放すか、現実的なキャリアも検討せよと老婆心を発揮するか。
自分の未来を自分で構想できることが豊かに生きることの条件だと、ある哲学者は言っていた。
全くその通りだと思うし、自分の構想に従った顛末は、結局のところ自己責任だとも思う。
アドバイスできるとすれば、大人が作ったカリキュラムにただ従うだけではだめだよ、ということか。
大人が作ったメソッドを鵜呑みにするのでもなく、頭から否定するのでもなく、自分なりに工夫して努力すること。
自分の心や体の現実を考えて、失敗しながら自分なりの方法論を見出す。
現実的な目標を設けて、ステップ・バイ・ステップで自身の成長感を確かめながら前へ進む。
こういった、現実を渡っていく嗅覚と行動力を持って自律的に生きる人のことを「大人」と言っていいだろう。
ときには搾取されようが、騙されようが、致命傷を負わずに自分の軌道に戻ってくる。
運がよければ夢が成就するし、そうでなくても、未来は切り開けるはず。
結局、夢を持つには、自律エンジンを積んだ大人になる必要がある。
誰かに強制されることなく、やりたいことを持ち、現実と折り合いをつけながら自分で工夫して動く。
そういう大人になっているかどうか、シニアにさしかかった自分自身にも問いかけ続けている。